2002年5月19日

蝶の舌、あるいは愛と自由についての

 その映画は少年の寝室から始まる。喘息のために1年遅れで入学する8歳の少年モンチョは、学校が恐いところだと不安に思い、初登校の朝をまんじりともせずに迎えているのだ。

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2001年2月12日

絶望的な、あまりに絶望的な

 言うまでもないことだが、映画とは光の芸術である。光を切り取った芸術である。同じように写真も、光をレンズとフィルム(フィルムという概念は駆逐されようとしているが)によって捉えるものだが、映画と写真の決定的にして絶対的な違いは、動きにある。写真はそこに留まり、映画は動いてゆく。留まることを知らない。まるで人生のように。
 心魅かれるシーケンスに立ち会った瞬間、我々の気持ちは動揺する。美しいシーンを観た瞬間、我々のエモーションはときめく。だけど映画は立ち止まらない。我々の心を置き去りにして、先のほうへ、もっと先の方へと進んでゆく。まるで『不思議の国のアリス』におけるアリスのように、待ち受ける場所にはもう次への導きがなされているのだ。やれやれ、それが映画の魔力なのだ。

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2000年9月 2日

記憶の虐殺

 日の丸・君が代法、盗聴法、日米新ガイドライン関連法と、戦後この国がぎりぎり守り通してきた良心の表明が、小渕政権によって一気に切り崩された。従軍慰安婦はなかった、南京大虐殺はなかった、と詭弁を弄する「新しい歴史教科書をつくる会」。アジア太平洋戦争を称揚し、美化する小林よしのりの『戦争論』。三国人、支那といった兆発的な発言を繰り返し、かつて日本軍による統治・占領下にあった台湾を、その意味において未だに扱う石原慎太郎。戦後50年以上も経つ日本に沸き起こる、これらあからさまなナショナリズムを前に思うことは、いったいあの戦争について日本人は何を語り、何を語らなかったのか、ということだ。

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