スピリチュアル・ブーム 2
そもそもスピリチュアルとは何か? ひと昔前には、精神世界とかニューエイジなどと主に言われていた領域であるが、スピリチュアル(正確にはスピリチュアリティ= Spirituality、霊性)とは、霊魂などの超自然的存在との見えないつながりを信じる、または感じることに基づく、思想や実践の総称のことである。具体的には、人生の意味や希望、そして安らぎなどを見出す〈心の奥〉の問題に対して、自らの魂や、もしくはヒーラーなどと呼ばれる人を介して、触れたり解決していくことを言う。
精神世界およびニューエイジは、定期的にプチブームが訪れるのだが、バブル崩壊前後の80年代後半から、目に見えない何かとのつながりを求めたいという感情と、経済的な自己成長意識の両者が強まり、チャネリングや自己啓発セミナーの爆発的ブームを経て、オウム真理教事件で一気に沈静化したことは記憶に新しい。
しかしその後、新世紀の2000年ごろから、オウムのトラウマである〈宗教アレルギー〉を伴いながらも、再びその感情がうごめき始め、スピリチュアルという名称に衣替えして、現在の流行に至っている。
1999年のWHO(世界保健機関)執行理事会で、「健康」の定義が見直された際、健全なスピリチュアルも、健康の一つの要素として加えるよう議論されたことは御存知だろうか? それまでWHOでは、健康の定義は、体の健康(physical)・精神衛生(mental)・社会的環境(social)の3つであったが、4番目のスピリチュアル(spiritual)を加えるよう議題化されたのだ。このようにスピリチュアルという領域は、確実に一般用語として広まってきていると言える。
そこでオウム以降のスピリチュアルに関してだが、今日のスピリチュアル・ブームの背景には、伝統的な霊観念の衰退、もしくは希薄化ということがあげられるのは間違いないだろう。ここで言う伝統的な霊観念とは、家制度の下で、先祖が作り上げた家をないがしろにされた霊の祟りによって、病や不幸がもたらされると考えることである。
オウム事件前には、病や不幸を取り除くには、先祖の霊を正しく供養しなければならないと説く立場が、宜保愛子氏などのタイプの霊能者を通してメディアで盛んに取り上げられていた。
ところが現在のスピリチュアル・ブームの背後では、核家族化の問題は当たり前のように浸透していまい、家の比重がいちじるしく軽くなり、先祖の霊の祟りということに現実味が無くなってしまった。少なくとも都市部や若い人の間では、家のしがらみに苦しむ人は減ったのではないだろうか。
当然、その反作用として、人々は家という支えを失ったことに苦しむことになる。さらに未婚者の増加や少子化の進行で、家制度の存在自体が危うくなってきている。それにともなって、霊の観念についても〈個人化〉の影響が強くなってきたのだ。
そして今、霊が問題にされる時、それは家の先祖の霊ではなく、個人の前世の霊である。先祖が出てきたとしても、祖父母などごく近しい祖父母の存在に限られるのだ。このような個人化傾向の霊現象によるスピリチュアル・ブームの立役者の一人が江原啓之氏だと、宗教学者である島田裕巳氏は位置付けている。
つまり個人というのが、現在のスピリチュアル・ブームにおける最大のキーワードであると考えられる。その個別性の前に既存の宗教は、語る言葉をなくしてしまうのだ。すべてが個人に還元される状況の中で、江原氏のブームは成り立っていると言えるだろう。
江原氏の著作を読むと、彼は「霊的真理」と「現世利益」という言葉を対立させて使っている。「現世利益」は、物・金などへの執着や利己主義のことを指していて、「霊的真理」は、絶対善であると位置づけるものだ。
「霊的真理」は、〈魂(たましい)の成長〉によって近づくものであり、現世利益的な行いは、〈魂の成長〉を阻害すると江原氏は言う(つまりこれは、清貧を美徳とする考えと受け取れる)。
この「霊的真理/現世利益」という対立は、「善/悪」「正/誤」「優/劣」「発達/未発達」と言い換えることも出来るのだが、その図式はスピリチュアルを享受する人々にとって心地良いものなのである。現世利益を否定し、霊的真理を肯定することの利点の一つとして、所得の低いことを無効化できるという点が考えられる。
清貧を美徳とする霊的真理への道を信じる場合、所得の低いことはむしろ肯定的に受け止めることが出来るのだ。もちろんこれは所得の問題だけでなく、持病や美醜の問題といった問題とも軌を一にする。
もう一つの利点は、霊的真理の道に従うという自己選択の正誤は、死ぬまでわからないという点にあると言えるだろう。現世利益を第一の基準にすると、勝ち組負け組みが、所得という数値で一目瞭然となるが、魂の成長の場合には、それが試されるのはむしろ死んだ後となる。
そこには、「自分の行いが死んだ後に先延ばしされる」というシステムが確立されているので、スピリチュアル・ブームは、日々自己選択を迫られる我々に、過酷な現実から逸脱する都合の良いシステムを提供しているとも言えるのだ。だからこそ、癒しを求められる風潮と共に、江原+美輪ブームというものが成り立っていると考えられる。
このようにスピリチュアル・ブームというのは、自己にとって利点を求める人が多いために生じている必然的な現象である。しかしながら、自分だけにしか関心がなく、そんな自分の不安を解消し、自分を肯定するためにスピリチュアルを利用するという行為の行き着く先は、たいてい宗教的なまがまがしさである。
また多額の金銭を要求するスピリチュアル・システムの怪しさも、当然忘れてはならないだろう。この春から、江原+美輪両氏が司会をするテレビ番組『オーラの泉』が、ゴールデンタイムに移ってきた。それだけ視聴率を取れるということだが、広く認知されると同時に、目に見えない霊的存在をあたかも有るかのように断定するその番組のあり方が、放送倫理規定に引っかかるのではないかという声も日増しに高まっている。
ここで我々が気をつけなければならないのは、いつの時代においても社会や自分の不安というものは存在するが、頼るべきものはあらゆる場所にあまねく有るという当たり前の事実だ。それは決まった誰かの言葉を絶対として頼るのではないと言うことであり、このことは各自の中で、ことさら明確にしておいた方が良いのではないかと思う。
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