サリンジャーをつかまえて
とある緑茶のCMがある。駅のホームで昔の恋人(?)に出くわした女の子が、その恋人だった男の子の脇に、新しいガールフレンド(どうやら共通の友人らしい)がいることにショックを受け、都会とは反対行きの列車に乗って見知らぬ田舎まで行ってしまうというものである。BGMにはシルヴィ・バルタンの名曲『あなたのとりこ』がかかり、否が応でも気分はセンチメンタル・シックスティーズにいざなわれる作品だ。
さて、ぼくにも似たような経験がある。とは言っても、女の子との甘い思い出ではない。反抗期の少年だった高校生のぼくは、ある朝どうしても学校に行きたくなくなって、反対行きの列車に乗ってしまったのだ。その時、頭の中にどんなBGMが流れていたかは覚えてないが、心の中にはある一つの科白が流れていた。それはJ.D.Salingerの『ライ麦畑でつかまえて(The Cather in the Rye)』の一文で、その頃のぼくは事あるごとに、その科白を独りごちていた。
「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば(I'd never yelled "good lick!" at anybody. It sounds terrible,when you think about it.)
前回このコラムにも書いたように、高校生のぼくのまわりでは死んでいく者が多かったので、ぼくはちょっとした人間不信というか、神経衰弱にかかっていたのだろう。人生を斜に構えて見る癖がついてしまったのだ。だからそんなぼくの気持ちを表現するのに、その科白はぴったりだった。
「幸運を祈るよ!」という口先だけの言葉を交わす大人たちに対する徹底的な憎悪と、けれども人と関わるためには、口先だけの言葉を使わざるをえないもう一人の自分に対する嫌悪がないまぜになった思春期のぼくにとって、『ライ麦』の主人公ホールデン・コールフィールドの上記の科白は、霧の立ちこめた視界不良の人生行路の中で差し出された一筋のキラキラした光だった。「いつか大人になるにしても、つまらない大人にはなるものか」とぼくは強く強く思っていた。
J.D.サリンジャーは、1919年にニューヨークで生まれたユダヤ系の作家だ。1951年に発表された『ライ麦畑でつかまえて』で世界的に有名になる。この作品は半世紀を過ぎた今でも世界で毎年、二十五万部ずつ以上売れ続けている。発表された当時は、主人公の言葉の汚さが、ピューリタン的道徳観が根強く生きていたアメリカ社会には刺激が強すぎたと見える。当局による発禁処分や図書館から追放されるなど、現在から見れば不当とも思える扱いを受けたりもしたが、16歳のホールデン少年の世の中を批判する態度と、彼の周りへの「まやかし」や「うそっぱち」に対する鋭い洞察とそれらに対する罵りに、世界中の多くの少年少女は共感を覚え続けているのだ。
成長過程のホールデンの反抗は、大人になった者から見たら微笑ましくすら思える部分もあるが、金銭欲や名誉欲などの現代社会を覆っている価値観につばを吐きかけ、他人に優しく努める代わりに、いつも自分が傷つき、その代償として精神分裂症の治療を受けるはめになるホールデン少年には、いつの時代にも普遍的な若者のやるせなさが投影されている。
TBS系列のドラマ『夢のカリフォルニア』には、そんな若者の戸惑いや不安が、現在を舞台に描かれている。中学の同窓会で久しぶりに出会った男女が、友人の自殺(それも目の前での!)をきっかけに、それまで漠然と抱えていた人生に対する問いを見つめる物語だ。堂本剛演ずる終(しゅう)は、就職活動の面接で、同席した学生の多弁ぶりに疑問を感じている。
「御社のこれまでのマーケティング・ビジネスにおける類い希なる分析力と実績、ならびに独創的な企画力に惹かれましたわたくしは、御社を第一志望といたしました」とかなんとかいったマニュアル通りの発言を、照れもせずにはきはきと答える同席者。それと引き替え、終は「将来のビジョンは?」という質問にただ呆然と立ち尽くすだけだ。「どうなの?」と促されるが、答えなんて持ち合わせていない。「わかりません」と一言答えるのが精一杯だ。
だけど終の気持ちはよくわかる。それが多くの若者の本当の姿だからだ。将来のビジョンなんていう質問に、まともに答えられる訳はない。なぜなら人は、今を生きるのだって手探りなのだから。そういう風にして我々は嘘を重ねて生きていく。適当な言葉でその場をしのいでいく。ビジネス・レターの文頭に書くあの呪文のような「御社ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」という言葉みたいに、気持ちの微塵もこもっていない対応を社会生活は強要する。
ひさしぶりにサリンジャーを手にしてみたら、忘れかけていたあの熱い気持ちを思いだした。あの頃同じような感情を共有していた友人たちは、みな大人になり、結婚をし、それぞれの社会生活を営んでいるが、今でも昔のままのイノセントな部分を持ち続けているだろうか?
Category : 文学 |
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