クラシック音楽が好きな者たちに共通した特徴として、他の種類の音楽を見下す傾向があるように感じるのは私だけではないだろう。大したタマでもないのにメディアによって祭り上げられ、過大評価されている坂本龍一も、かつて〈ロックミュージックの存在そのものを〉ぼろくそにけなしていたのを忘れない。
おまけに10年程前までの彼は、「牛は俺たちに食われるために生きてるんだ」などといった呆れるほど傲慢な発言を繰り返していたくせに、今では地雷除去や環境問題に首を挟み、善人面をしているのは本当に許せない(おまけに、ベジタリアンを気取ってさえいるのだ!)。
そんな鼻持ちならない人間が多いのがクラシックの世界だが、彼らはなんといっても、レコードの録音状態を執拗なまでに拘るのだ。やれ「全体的に間延びした演奏であったが、バイオリンの高音部のつやだけは良い」とか「通奏低音時のホワイトノイズが気になる」とか重箱の隅を突く発言があまりにも多すぎる。
クラシックである以上、過去の作品の解釈と再演でしかないのだから、演奏と指揮と録音状態で作品の質を語るのはやむを得ないが、これはクラシックを権威主義的特権に囲い込むこと以外の何物でもないだろう。すべてにランクを与えなければ気が済まないパラノイアたちの世界。
それはジャズ好きにも同じように言えて、名盤名録音とやらをこさえて、格付けをすることに生き甲斐を感じる批評家がここにも多すぎる。特にジャズの場合は、マイルズ・デイビスを神のように崇める悪質な慣習が幅を利かせていて、毎年同じような内容の「ジャズ格付け本」が再生産され続けている。
その点、今回紹介するモンド・ミュージックはそれらとは一線を画する種類の音楽だ。なんといってもクラシックだジャズだといった既存のカテゴリーでは捉えられない種類の音楽たちなのだ。
モンド・ミュージックとは、未開民族の習俗を紹介した1970年代初頭の偽ドキュメンタリー映画『世界残酷物語』の原題(Monde Cane)から派生したものだが、奇怪な、異様な、特殊な、strangeな音楽や映画を総称して「monde」と呼ぶ。この言葉の背景には、マーケティング主導のヒットチャートやありきたりなジャンル分けからは、こぼれ落ちる運命にある音楽への愛情が感じられる。
つまり「黙殺されるものへの視線」がそこには存在しているのだ。それは誰の心の中にもある謎めいた部分。他人には決して理解してもらえない種類の性癖や嗜好に、自ら光りを当てる快楽。
それまでは「おたく」と呼ばれた行為を、イラストレーターのみうらじゅんが「マイブーム」という言葉を発明することにより、誰もが等しく自分だけが好きなことを堂々と開陳することを解放したように、モンド・ミュージックは、それまでのレコード屋での陳列棚では区分不可能な音楽を、自分だけの密かな楽しみとして慈しむ行為だ。
だからとりあえずは、クラシック、ジャズ、ロック、ポップス、歌謡曲、ボサノヴァ、サントラ、ソフト・ロック、ネオ・アコなどといった頭に叩き込まれたジャンルは捨ててみること! あなたの本当の魂の叫びは何なのかを照らし出してみること。あなたはあなたなのだから、あなたらしく選んでみればいいのだ。
例えば、あなたと同じイニシャルのミュージシャンのレコードを聴いてみる。
例えば、何処か好きな国のミュージシャンを集中して集めてみる。
例えば、男気溢れる作品を、ジャケットからインスピレーションだけで買ってみる。
例えば、漫画家が描いたジャケットを探してみる。
例えば、モノクロームのジャケットの作品に耳を傾けてみる(その音はモノクロだろうか?)。
例えば、企業やプロダクション・チームによるプレゼンテーションや宣伝目的で作られた非売品のオフィシャル・レコードを懸命に集めてみる。
例えば、宇宙もののCDを取り寄せてみる(宇宙空間は無音であるゆえに、近未来的なイメージを我々はそこに投影してしまう。だからシンセサイザー黎明期の音楽は、その音色の目新しさを宇宙音らしく仕立て上げた)。
例えば、パーカッションものを揃えてみる(メロディ以前の魂の律動がそこには必ずあるはずだ)。
例えば、セレブリティーの作品を発掘してみる(いわゆる有名人もの。「へえ、あの人、こんなことしてたのか!?」といった感慨が味わえる)。
つまり、モンドは文字通りstrangeな世界なのだ。それはあなたが切り開くしかない世界なのだ。
モンド・ミュージックの世界にはガイドブックは存在しない。モンドを探求する中で、それぞれが自分の地図を作っていけばいいのだ。ビバ・モンド!
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