バックミンスター、再び
前回のカフェ椅子のイームズに続いて、今回はバックミンスター・フラー。彼もまた、何度目かの再評価の波に乗っている。しかし彼らを取り巻く今度の時代の波は、とても大きなものだ。
今、われわれはミッドセンチュリー的なテイストを強く欲している。その背後にあるのは、「失われた未来」への憧れ、デザインの強度、徹底的な個性、大量生産が生みだす耐久性と廉価さ。やれITだ、ヒトゲノムだ、とビジネスチャンスを新たな領土に求めながら、生活そのものはちっとも変わらず、沢山の消費財に囲まれながら、ドキドキやワクワクに飢えた暮らしを強いられている日常。
ミッドセンチュリー・モダンなものたちが心魅かれるのは、そんな「生活といううすのろ」(佐野元春)の中で、輝きを放つ物質としての圧倒的な存在感なのだろう。
ところでフラーとは何者か? バックミンスター・フラー(1895-1983)。思想家・工学者・建築家・科学者・数学者、そしてエンジニア。あるいは20世紀アメリカにおける天才中の天才。独自の数学・物理学体系「エネルギー/シナジー幾何学」を構築し、「より少ない資源で、より多くのことを成す」(フラー)ジオデシック・ドーム、ダイマクション・カー、ダイマクション・ハウス、ダイマクション・マップを次々と発明した。
またそれらを人類レベルにまで拡げて、惑星資源の最も平等な分配のモデリング手法としてのワールド・ゲームを提唱する。その上、数々の時代と領域を超えた発明を行うとともに、「宇宙船地球号」という造語を編み出す。この地球を一つの宇宙船と捉える彼の発想は、人類がついに到着することになった全地球的問題の解決に多大な示唆を与え、カリフォルニアから始まったエコロジカル・ムーヴメントやインターネット的思考を生むきっかけとなった。限られた土地や最小のエネルギーから最大の効率を引きだし、物質を再生しなければならないという彼の発想は、特に再評価されて然るべきものである。
「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」(マーシャル・マクルーハン)と言われ、1969年にはノーベル平和賞の候補になり、同時に若者の心を捉える革命的なマニフェストのせいで、CIAに事務所を捜査された男。
そんなフラーの森に分け入る準備として、『フラーがぼくたちに話したこと』(めるくまーる)を読むのはとても役にたつ。この本の中でバッキーこと、リチャード・バックミンスター・フラーは、3人の子供たちに彼の思想と彼の幾何学を語る。同書を読めばバッキーの思想がとてつもなく偉大で、美しいものだということがよくわかるだろう。この本に書かれていることに限らず、彼の発想はどれもとてもユニークだ。
バッキーは四角形を不完全なものと見る。三角形こそが、最小にして最も安定した形と見る。世界中に30万個以上も建設され、シナジー幾何学を建築に応用して生みだされたジオデシック・ドームは、この三角形を組みあわせた正二十面体を球面に投影したものだ。強度に優れ、この構造をとる限りどれほど巨大なドームであろうと内部に柱はまったく必要としない。ジオデシック・ドームと言ってもピンと来ないかもしれないが、富士山頂の気象観測ドームや、1967年に開かれたモントリオール万国博覧会におけるアメリカ館などで、目にしたことがあるに違いない。
ちなみにこれまでに何度も出てきている用語、シナジーとは、"結合された状態となったときに初めて現れる、部分からは予測出来ない性質やふるまい"のことである。フラーの構築したエネルギー/シナジー幾何学とは、自然に先天的に備わっている、複数の作用が共同して作りだすそのようなシナジー的なパターンを組織化し、理解する学問である。
バッキーはこのエネルギー/シナジー幾何学を机上の空論とせず、次々と自ら技術化し、デザイン化していったのだ。それらすべてが成功したとは思わない。
しかしながら、フラーの生みだしたものは、幾何学にせよ、ドームにせよ、まるで飛行機のような流線型の形をしたダイマクション・カーにせよ、われわれの行くべき未来を指し示していることは疑いのない事実なのだ。
21世紀の課題は、有限な地球資源の修復と適性再配分にある。間違いなくフラーは、その課題に正面から取組んでいたのだ。「宇宙は決して無駄をしない」とフラーは言う。この彼の信条は、個々の技術を超え、われわれの地球大に広がった技術圏のあり方、さらにはそれを生みだした政治、経済、社会システムそのもののあり方にまで向けられて、フラーはそうした現状システムのラディカルな「再デザイン」を主張してゆくことになる。
フラーを貫く「宇宙のデザイン原理」は、近視眼的思考に縛られてエネルギーや物質を無駄に使った旧来の「不純技術」に対する挑戦だ。これまでの近代科学が培った莫大な情報と知識を利用して、これからは奪いあわない科学を確立することをフラーは提唱したのだ。世界を観察のための実験室として捉えずに、自分たちの生きる対象として、住まう場所として捉え直せば、おのずからフラーの語ることの意味は見えてくるはずである。
「機能は見かけより秀でている。見かけのよさは移り変わるが、機能はつねに機能するのだから」というイームズの言葉は、そのままフラーに対するわれわれのレスペクトでもあるのだ。
Category : 科学全般 |
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