サン=ジェルマン=デ=プレのバラード
講談社から出版されている『現代思想の冒険者たち』シリーズの中に、ジャン=ポール・サルトルの名前がなかったのにはやはり訳があった。かわりにそこにはジャック・ラカンの名があった。
誰かが言うように、サルトルとラカンは同席できないのだ。どちらも芸術から精神分析まで幅広い領域を横断する思想家であることにかわりはないとしても、かたや「実存は本質に先立つ」とするアンガージュマン的な実存主義の雄、かたや「無意識は構造化された他者の言説である」と説く構造主義の王。おりしも『現代思想の冒険者たち』が刊行されたのは1996年。
もはや世界の先進国では、政治の季節をとっくに通り過ぎてしまっていたのだ。そのような情況でサルトルの出番はないも同然だった。時代はポスト・モダンの終末期にあたり、ジル・ドゥルーズやらジャック・デリダら、フランス人ではあってもフランスを特別に賛美しないポスト構造主義的な思想家たちの評価が急騰していた。そういう意味では、1968年のパリ5月革命の嵐が吹き飛ばしてしまったのは、パリの文化そのものでもあったのかもしれない。
だけどもパリはやはり、古き良きパリであって欲しいものだ。1789年のフランス革命以来、世界の芸術と文化の都は紛れもなくパリだったのだから。もちろん人それぞれが思い描くパリの姿は違うだろう。ある者はベル・エポック時代のモンマルトルを夢想するかもしれない。ある者はエコール・ド・パリ全盛期のモンパルナスを想起し、ある者は第二次大戦後に息吹を取り戻した実存主義の街、サン=ジェルマン=デ=プレをイメージするかもしれない。その中で私にとってのパリは、やはりセーヌ左岸のサン=ジェルマンだ。
サン=ジェルマン=デ=プレは、パリ最古のサン=ジェルマン=デ=プレ修道院を中心としたセーヌ左岸第6区の地区。ポン・ヌフ橋からボザール(国立美術学校)までを有し、ソルボンヌ大学を中心とする第5区とともにカルチェ・ラタン(文教地区)と呼ばれている。
サルトル、そしてシモーヌ・ド・ボーヴォワールが行きつけにしたことで世界的に名をとどろかせているカフェ『ドゥー・マゴ』や『フロール』はあまりにも有名だ。もちろんサン=ジェルマン=デ=プレを取り巻くのは、インテリだけではない。有名無名の文学者、画家、演劇人、芸人、歌手などは言うまでもなく、極右から極左までの政治活動家や無数の大衆とジャーナリスト、それから若いボヘミアンと不良青年の群れだ。エド・ファン・デル・エルスケンの『セーヌ左岸の恋』は、そんなサン=ジェルマンの若者たちを撮った写真をもとに組み立てられたフォト・ストーリー。
それは実存主義的気分の中で育まれたモチーフと方法論によって生まれたものだと言ってよい。日常的なリアリテから社会的な物語を紡ぐ方法によって展開されたこの写真集には、サン=ジェルマン=デ=プレの傷ついた若者の生活が切り取られている。サルトルは『存在と無』の中で繰り返して言う。「自由であるとは、自由であるように呪われていることである。あるいは、自由のなかに見捨てられていることである」。
今となっては少しばかり色褪せた感のあるこの言葉の意味するものは、自由とはただそこに存在するのではなく、自らの意志によって手に入れてゆくものだという決意だ。それだけ自由というのは孤高なものなのだ。傷つくには傷つくだけの理由があり、しかしいつかそれを乗り越える方法が何処かにある。ナチス占領と戦争に傷ついたパリの街では、絶望的な現状を笑い飛ばすユーモアとエスプリ、強い酒、それから言葉や芸術による〈投企〉、それは絶えることなく未来に向かって自分を投げ出し、自分の決断によって自分自身を創造してゆくこと、こんな〈投企〉的な人々で犇めいていたのだ。サン=ジェルマン=デ=プレはつまり、挫折と希望の街だったのだ。
そんなサン=ジェルマンの中での名うてはもちろん、ジュリエット・グレコだろう。ジュリエット・グレコは、紛れもなく〈投企〉的なシャンソニエだからだ。不幸な生い立ち、ドイツ軍による拷問、貧窮、幾多の、あまりに幾多の恋、そして人気シャンソン歌手の座へと登りつめた人生。サン=ジェルマン=デ=プレ華やかりし時代の歌姫、あるいは実存主義のミューズ(女神)。
1928年、フランスはモンペリエ生れ。サルトルやボリス・ヴィアンに可愛がられ、沢山のミュージシャンや役者たちを愛し愛された恋多き女(だけど何処に恋少ない女がいるというのだろう)。色白の顔と抜群のプロポーション。彼女のお得意のポーズは、両手を腰にやり、頭をこちらに向けた悩ましげで、蠱惑的な視線。しかしそんなジュリエットもイブ・モンタン亡き後は、シャンソンを歌い継ぐ唯一の大御所になってしまった。
左岸スタイルと呼ばれる彼女の歌は、抽象的な恋模様というよりも、日常を描いた物語のような歌詞が特徴だ。この辺も実存主義の現れだろう。2年前のアルバム『ある夏の日と・・・』に「夜汽車」というナンバーが収録されている。ナチスに連行されるユダヤ人女性の哀しみを描いたものだ。
「今も世界の何処かで繰り返されている不幸について歌ったもの。不幸とは戦争だけでなく、そこに愛がないものすべて」と彼女は言う。さすがに歳をとり往年の美貌は陰を潜めてしまったが、そんなことはどうでもいい。その顔に刻まれた深いしわさえ魅力的に見えるだけの、毅然とし、それでいてチャーミングな特別の女性なのだから。
セーヌ河畔の他の街に比べて、ほんの少し暖かい気温とほんの少し刺激的で健康な空気に包まれた街、サン=ジェルマン=デ=プレ。華やかな時代は過ぎ去っても、変わらないものがそこには確かにあるのだ。
だからこそサン=ジェルマン=デ=プレには、今日も絶望の雨は降らないのだろう。
Category : 芸術全般 |
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