1960年5月。15年の逃亡の末、一人の男がアルゼンチンのブエノス・アイレスにて、執拗なまでに追いかけ続けていたイスラエル秘密情報機関(MOSSAD)の手によって、身柄を拘束された。
その男の名前は、アドルフ・アイヒマン。1941年から45年にかけてユダヤ人、ポーランド人、スロベニア人、そしてロマ(ジプシー)を絶滅・強制収容所に送り込み、死に至らしめたユダヤ人移送計画の専門家(スペシャリスト)。600万人とも言われるユダヤ人を「死の工場」へと導いたあの忌々しい事件の中心存在で、元SSのエリート中佐。
翌年に行われたアイヒマン裁判で明らかになったのは、極悪非道で冷酷無比な殺人鬼としてのアイヒマンではなく、個人としては平凡な悪人、なんらデモーニッシュな所のない凡庸な悪の管理官としてのアイヒマンだった。この裁判をレポートした政治思想家のハンナ・アーレントは、著書『イェルサレムのアイヒマン』(1963)の副題にこう書き加えた。「悪の陳腐さについての報告」と。
それは文字通り陳腐な男だった。総統ヒトラーに気に入られることだけを考えていた役人。勤勉で計画遂行能力に長けた性質が功を奏し、ナチスという階級社会の階段を着実に上へと登りつめ、その組織の中で命令をただ遂行していたに過ぎない、うだつのあがらない官僚。アウシュヴィッツへと向かう「特別列車」の綿密な運行スケジュールを、遠くベルリンのオフィスで黙々と作成し、いくつもの書類に型通りのサインをし、上官からの命令を部下に伝達していた何処にでも居そう男。しかしこんな男が、20世紀の歴史地図をジェノサイド(大量虐殺)という血の色に塗り替えてしまったのだ。自分の手は決して汚さず、だけど人類史からは拭い去れないくらいに。
「逃げることなど出来なかった。私は大海の一滴。上級権力の手中にある道具。私一人が拒否しても何も変わらなかった」
「私の権限の及ぶところではなかった」
「上官の命令に従い、自分の任務を忠実に遂行しただけ」
アイヒマンは8ケ月にも及んだ裁判の席で、こういった発言を繰り返した。
馬鹿げている。実に馬鹿げている。だけどこれらの言葉はみな、何処かで聞いたことのある科白ばかりではないだろうか? 薬害エイズ。オウム事件。東海村核燃料再処理施設の臨界事故。日栄社員による恐喝。一連の証券や銀行の破綻、そして警察官の不祥事。いつだって何かが起きれば、人はみな同じように自分の犯した罪を誰かのせいにし、システムのせいにするのだ。そしてこれこそがまさに、アーレントが指摘した「悪の陳腐さ」たる所以だ。
自分の犯している罪の大きさを、事件の途中では理解することの出来ない人間の業のようなもの。犯罪行為の種が、組織に所属する私やあなたの日常の中に、すでに含まれているという事実。アイヒマン裁判がもたらした人類への宿題はあまりに重いものだった。
アイヒマン裁判から示唆を受けて、ある実験が執り行われた。それは新聞広告の公募によって選ばれた被験者を、教師(被験者)と生徒という役割に振り分け、生徒は別室において電気の流れる椅子に座らせ、教師は簡単な単語テストを生徒に与えていくというものだった。生徒が間違える度に、教師は罰としてショック送電気のスイッチの水準を一つずつ上げてゆき(最終的には致死レベルの電圧)、その生徒のもがき苦しむ様を見て教師が実験の継続をためらうと、実験者は、「わたしたちがつづけることが実験のために絶対必要です」「迷うことはありません。あなたはつづけなければなりません」などといって実験を続行させた。
しかしこの実験における生徒は、本当は仕込みで、実際には電気椅子の電気も流れていなかったのだ。これは被験者に、教師という本質的にサディスティックな役割を演じさせることで、人々の中にある権威主義における服従と懲罰に対する志向を探る実験だったのだ。この実験によって得られたことは、個人が自分を他の人の要望を実行する道具と見なすにしたがい、自分の行動の責任が自分にあると思わなくなるというものだった。
それが服従の本質である。そしてその服従はやがて自動化されてしまい、強制ではなく自発的なものへと姿を変え、悪質化してゆくのだ。「悪の陳腐さ」は、我々の行動や思考全般に遍在している。とりわけそれが戦争、科学、そして医学の名のもとに正当化されている現実には、なんとしてでも歯止めをかけなければならない。
ちなみにスタンリー・キューブリックの映画『ドクター・ストレンジラヴ 博士の異常な愛情』は、核兵器の技術的手順にしか興味をもたない爆撃機搭乗員の陳腐でいて絶大な狂気を端的に描くことによって、悪のなんたるかを指し示した希代の芸術作品である。ぜひ参考にして欲しい。